懸賞檄文【佳作】現代日本に命をかけて訴えたいこと/下田寛

義挙50周年プロジェクトの一環として公募しました「懸賞檄文」において、厳正なる審査の結果、下記の文章が佳作となりました。ここに全文を掲載します。(福岡黎明社)

三島由紀夫氏が自決したのは1970年です。その頃の日本は高度経済成長を遂げ、当時の日本人のほとんどは、明るい未来しか考えていなかったのではないかと考えます。その頃に、三島由紀夫氏は日本の将来を憂い、一体どれだけ先の将来を当時見据えて敢えて「自決」という最期を選んだのかと考えるだけで、吐き気が込み上げてくるほどの感情が体中を駆け巡ります。

今の日本は、残念ながら三島氏が憂いだ通り、いやそれ以上に酷い状態に陥っていると感じています。このことは突き詰めれば、日本人一人一人の自覚の問題であり、我も人もの幸せを願う世の中ではなく、政治から個人までが人任せの個人主義で、あらゆる場面において部分観に陥り、全体を俯瞰してかつ、先を見通し行動できる人材がいなくなったからに他ならないと考えます。それでは自分に何が出来るのか、ということを常に自問自答しておりますが、結局自分にできることも限られており、公私を一本の志で貫き、その志の範囲を可能な限り幅広く育み、同志と連動するということに尽きると考えています。

これからの日本は、更に先行きが見えなくなるでしょう。新型コロナウイルスによって、世界中の人々が今の生活スタイルの変更を余儀なくされ、危機管理も行政だけが担うだけではなく、個人レベルでも実践していかなくては生きていくことさえ危機に晒される可能性があることを体感させられました。しかし、特に日本人は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というような穏やかな人種とも言われますが、昨今の世界情勢を見てみても、政治状況や気候変動などにより、更に生活環境が悪化することは容易に予測できます。更に言えば今はまだ良い方で、コロナ禍は、時代変革へのトリガーであり文明転換の準備期間として天が警告していただいた状態ではないかとさえ感じています。

私は今、佐賀県議会議員として活動しており、特に難病の人達や障害を持つ人達への政策提言を行っております。その根本の思いとして、古事記の前文を紐解けば理解できる通り、人間だれもが生まれながらにして必ず使命が備わっており、究極的には、地球を安定と平和に導く使命を全ての人間が内に秘めて生きているわけです。しかし、天命ともいえる使命に気づくこともなく、杓子定規な枠にはめられ、その範囲でうまく立ち回れさえすれば、社会的な成功者としてもてはやされような時代に成り下がってしまっています。また、特に障害を抱えてしまうと社会的弱者として、生きることが非常に困難な状況に陥ってしまいます。そして、社会からも日の当たらない環境で生きていかざるを得ない周囲の人達と接していると、何とか声を束ねて、そもそも天から与えられている人々の天命を呼び覚まし、魂レベルで人々が共鳴し合える世の中を、日本から興していくことで世界平和の礎を築かなければならないと確信しております。

さらに言えば、目の前の世界は全て世界と繋がっています。また、宇宙の中に自分がいるという感覚で、宇宙という存在が限りなく緻密なバランスで成り立っていることを考えると、自分自身や、全ての人は必ず繋がっており、そこには存在意義があるはずです。そして、混沌とした世界の状況を考えると、今こそ世界の羅針盤が必要な時代であることは明白であり、その羅針盤こそが、物質主義に相対する精神主義であります。これは、全ての存在に礼儀を尽くし、思いやりを持って感謝を捧げる公的精神であり、和の心である日本の精神そのもののことです。世界を救う鍵は日本にあり。日本こそが世界の精神的支柱を担わなければなりません。

また、必ず人にはその人でならなければならない存在価値があります。文明が転換する時代だからこそ大いに時代と主に自分自身を見つめ直すことが必要です。私は、漂流している人たちの道標を示すお手伝いをし、その人達の存在をじっくり育んでいく人間を目指しております。また、孤独で苦しんでいる人や愛する家族や地域を守っている人など、まずは身近にいる人達とかけがえのない時間・空間を育み、お互いに「命と心」を育める環境をつくり、そして、既に疲弊している政治そのものを新たに育み、国民と政治が一致すると実感が持てる日本を育成していくことが私の使命であると認識をしております。

それでは、これらのことを実現するためには何が必要なのかを考えてみますと、既存の枠を徹底的に打破し、新しい社会秩序を構築すべく運動を展開する必要があります。しかし、ここに大きな困難を抱える時もあります。何故ならば、あまりに先を行き過ぎた構想を説いたとしても、共感が得られ難いからです。また、私は現職の議員でもあり、政治の世界は駆け引きや闘争の現場でもあることや、既存の枠に沿って、半歩先の政策を提言しないと共感が得られることはかなり困難であり、十歩先の提言をしたとしても逆に変人扱いされ、将来的には良いと思われる政策も実現不可能になる可能性が高くなります。

現実、そのような場面はありますが、これまでも実現した政策を振り返ると、そのような政策は理念がしっかりしており、与野党問わず共感を育めたものは政策が実現しております。このことからも、新たな社会制度として、対立や闘争を超えて、あらゆるものの長所を活かし合い融合する「共生」を理念とした社会の在り方を構築すれば、生きているもの全ての長所を活かし合え、人々の魂が喜ぶ社会が実現できると考えております。さらに大局的に考えると、西洋文明と東洋文明の融合とも言える「共生文明の創造」こそが、私が担う役割です。これからの世界に向けて、日本で古から育まれている道徳的理想を新たな社会秩序して再構築することを、現代の日本に命をかけて訴えます。

結びに、私が理想とする「共生文明の創造」について記しておきます。

共生文明

世界は今、文明の転換期に入っている。

際限のない欲望によって社会の発展を目指す資本主義に代表される現代文明は、取り返しのつかない環境破壊や持続不可能な資源収奪を招いている。

個人の利益を優先する社会によって人と人との繋がりや信頼は失われ、対立や奪い合いの覇道的世界観が、絶えざる紛争を引き起こしてしまった。

物質中心主義や拝金主義により精神文化までが衰退し、あらゆる面で立ち行かなくなっているのが現代文明の実状である。

四大文明の発祥から今日に至るまで、世界の歴史を見渡すと、東西文明が交代しつつ、交互繁栄と停滞を繰り返していることがわかる。

これまで数隻にわたって繁栄の主役だった西洋文明は、まもなく、その座を東洋文明へ譲ろうとしている。

我々は、より良い世界を子孫に引き継いでいくために、新たな文明を築かなければならない。

新たな文永、その基軸は東洋及び日本社会の強固な基礎となっている「共生」という概念にあると考える。

人間も自然の一部と考え畏敬の念を持って自然と向き合う、自然との共生。

互恵の精神により高い信頼感に基づいて支え合う、他人との共生。

国の歴史や伝統文化、民族や共同体の多様性を守る、国と国との共生。

「勿体ない」「足るを知る」という高い精神性による、物心と精神の共生。

この互いに長所を生かし合い融合する「共生文明」こそ、我々が今から何世代もかけて再生・創造していくべきものである。

以上、三島由紀夫・森田必勝両烈士に捧げます。

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